小林 明道

小林 明道

@myoudouin369.999

本名 小林 明道(コバヤシ アケミチ)
抽象画家 舞台表現者 宗教者 思想家 ピアサポーター

【経歴】(抽象画家 舞台表現者)
1976年3月生まれ
2001年 独学で、抽象表現を始める。
2017年 高知県観光特使で、日展の審査員等の経歴がある。
洋画家「中西繁」先生に出会い才能を認められる。
2020年 新制作展WEB展覧会絵画の部に出展
2021年 第84回新制作展に出展
【その他】日本の文化交流財団から、パリコレの会場での展示会に推薦される。上の森美術館のチャリティー展覧会に招待される。
個展5回開催 グループ展11回開催

2018年 高知県を代表する表現者「大村憲子」先生と出会い見出される。
2018年 第1回大村祭りで、総合司会を務める。
【その他】京都国際舞踏祭に出演する方々と同じステージに立つ。シークレットイベントの司会、演者として出演等を行い、高く評価される。

(宗教者 思想家 ピアサポーター)
幼少の頃より「死」と「生」、「善」と「悪」について深く考えていた。
小学生低学年の頃より10代の中頃まで、天台宗大谷派に丁稚奉公にでる。
主に大先生の付き人をする。その際、天台密教の考え方、石鎚山を権現とした山伏修験道等を経験する。
だが、大先生が他界され総会が開かれた際、覇権争いが激化し大先生の側近は全員在家処分となり実質的に破門とされる。
その後、独学で解釈を深めていき、新興宗教団体等からアドバイザーとして招かれる事等を経て現在は、どの宗教、宗派にも所属する事なく、独学で西洋思想、東洋思想を歴史などの解釈を比較し精神的宗教のあり方に付いて研究をしている。

地元の高校では柔道部に所属し、大きな大会で好成績を残し結果、卒業後東証一部上場企業に入社。
24歳の頃には、主任となり20人程の部下を持つ責任者になる。
だが、不規則な勤務形態や長時間の拘束勤務等で、過度のストレスにより、身体と精神を壊し退社。
不安定な心身状態で、就職活動を行うが症状の悪化などで入退社を繰り返す。

(幼少期より、自殺を試みる。)
現段階で13回実行し一度も成し遂げないまま、現代に至る。
「生きる事を諦め。死ぬことすら諦めている。」
人は生まれながらに、絶対に逃れられない物がある事に気が付く。

それは・・・。
「老い」「病い」「死」そして「生きる事」と理解した。

今現在は、実家の農家を手伝いながら、表現者、ピアサポーターとして生活をしている。
人間を見くびるのではないが、私の様な経験を人間が味わうべきではないと考えている。

「世界で一番遠い町から世界各地へ。」をスローガンに活動を行っている。
今、私が生活をしている。
高知県の足摺半島は、関東圏から一番移動時間がかかる観光地の一つとして知られている。
関東圏は、日本では世界の玄関口である。
そこから、一番遠い場所。ここから、世界に発信する意味は大きいと考えている。

好きな詞
「質実剛健」「温故知新」「琴心剣胆」

山口家本家
七代目 第一継承者候補
小林 明道

2023.4

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